昭和52年5月10日 朝の御理解
御神訓一、「神は声もなし、形も見えず、疑わば限りなし。恐るべし、疑いを去れよ」
だから、信心とは、この反対のところを、いよいよ身に付けて行くということです。なるほど、声もなかならければ姿も見えません。けれども、その神様を、信じ、ね、神の声ではない声を神の声とし、神の姿ではないけれども、それを神の姿と見るという生き方。
ね、確かに非常に、んー、まぁ不合意のようですけれども、それを信じて疑わず、それを日々の生活の上に、行の上に現して行くということが、信心であります。
だから、信心がない間は、やはり姿も見えなければ、声も聞こえませんから、本気であれじゃろうかと。まぁ疑うたり、半信半疑で、それでも、わらをもつかむ思いで神様ということになり、そして、間違いのない、絶対の神様、絶対心をいよいよ身に付けて行くところに、えー、限りないおかげに恵まれて行くわけです。
昨日、初めて、ビリグイから、末永先生が第一進をよこしております。私あて、えー、若先生あて、それから、信徒会あて、まだこれ封を切っておりませんけれども、今日封を切って、皆さんに聞いて頂こうと思うんです。
まぁいうなれば、今日の御神訓の反対のところ。ね、もう本当に不安という、疑うていったら、こんな不安なことはなかろうと思うです。全然みも知らない。しかも、この私共の、地球の裏にある南米にね、しかも自分一人ならともかく、もう家内子供というてまだ、乳飲み子。まだ要約歩きなろうたという、長男次男をとものうてからのことですから。
それこそ親先生がいわれることを信じ。ね、神様の働きを信じなければ、出来ることではありません。そういう、ね、いうならば、神を信じての生き方が、どういうおかげにつながっておるか、ということを聞いて頂こうとこう思う。
ね、これからの御比礼。これから人が助かる。これはまだこれからの、なら先生が信心によることですけれども、ならいくまででもです、こういう、いわばおかげが受けられるんだと。ね、信じて行くというところはこういうことだと。いうことを、聞いて頂こうと思うんです。
えっとかよこさん出てないかな。あんた、昨日読んだから、一遍読んどるから。私あての、それから若先生あての、読んでって。で、信徒会あての。ん、これを。
「親先生有り難うございます。親先生のおかげで、このブラジル大陸に、夜明けをお迎えすることが出来ました。4月28日、午前9時40分。赤い土と、緑におわれたブラジル大陸の土を、力強く踏みしめ、ここに大陸の和賀心元年を迎え、その感激に浸らせて頂きました。
羽田を発って、ここサンパウロに、サンパウロまでの24時間というものは、繰り返し、繰り返し湧き出る感動の涙に暮れながらの旅をつげ、続けさせて頂きました。
それは、あたかも、広い天地の目が、たった私一人の心に、集中して注がれておるかのごとくに、何を思うても、何を考えても、ちょっと神様に心を向けさえすれば、言い知れぬ感動を覚えずにはおられませんでした。
出発にあたりましては、沢山の人の見送りを頂き、真心こもるお祈りぞえを頂き、有り難うございました。厚く厚く御礼申し上げます。
(イタズケ?)で飛行機に乗せて頂く時、御神事と御霊事の箱を、航空会社の人が見られて、これは機内に持ち込まれて結構ですといわれ、特別の席を用意して下さいました。羽田では、兄が特別室を用意してくれ、久保山豊さん御夫婦の、真心こもるおもてなしを頂き、「井上さもん」さん、「伊藤のりお」さんらの出迎えを頂き、又、若先生、幹三郎先生、「伊藤やすお」さんには、わざわざ東京までもお見送りを頂き、勿体無い事、この上有りませんでした。
出発にあたり、航空貨物が40㌔もオーバーし、1キロに付き五千円の追加料金をとられるところを、これも団体の荷物と一緒に取り扱ってくれましたので、無料となりました。途中、旅行者の方が、私の榊を見て、これは税関で引っ掛かるから捨てなさいと忠告してくれましたけど、サンパウロの航空につきましたら、ブラスビア旅行者の石井さんが出迎えて下さり、沢山の旅行者の中で、私達だけが、特別に、一番口に税関の検査を受けて頂き、頂きました。
税関では、一個一個の荷物を全部開いて、入念な検査がありましたが、御神体の箱二つは、これは何かとの質問に、その場で、柏でを打って、御祈念の姿勢をしますと、これは検査も何もしないに、無しに、箱も開かずに通してくれました。
お榊は何処でどうなったのか、気が付いたら荷物といっしょに、外に積み出されておりました。後で聞いたことですが、安武先生から頂いた刀だとか、御神米なんかも絶対ダメなんだそうですか、それらは、みんな何のさたもなく通貨しておるのに、ブラジルの人達、一同不思議がりました。
さて、税関所で待つと、そこには沢山の人達が、私達を迎えて下さっていました。金光教の旗を振り、サンパウロ布教所の「高橋かなお」先生と、御信者一向が、ビリグイ教会の「新田みちお」さんと、その一向が、私達の到着を、今か今かと心待ちに待っておられました。
親先生、有り難うございます。親先生有り難うございます。繰り返し、繰り返し、親先生有り難うございますと、心にめいじながら、出迎えのお一人お一人と、固い握手を交わせて頂きました。
一通りの挨拶をすませますと、一先ず、サンパウロ布教所に、高橋先生のお広前へやらせて頂きました。もう今年76のお年を迎えられた高橋先生の喜びはひとしゅう?でした。そこでの歓迎昼食会に出席させて頂き、終わり次第、ビリグイへ向けて出発させて頂きました。
ここで公子は安心したせいか、急にお腹が痛み出し、高橋先生の強いお勧めもあり、2、3日サンパウロでゆっくりさせて頂くことになり、一先ずビリグイ教会の皆さんと、私一人だけがやらせて頂くことになりました。
果てしなく広がる大地に、大陸に来たのだなぁという実感が込み上げてまいりました。途中のコーヒー畑を見ても、砂糖黍畑を見ても、一本一本のコーヒーの木に、これまでの日本移民の人達の苦労が、言葉以上の言葉と成って伝わってくるようで、思わず感動させられました。
アメリカ生の豪華な車で、ビリグイへ送られる途中、お回りさんに二度捕まりました。ブラジルでは交通の取り締まりが最近は大変厳しく、80㌔以上出すと、その場で免許を取り上げるということになるそうです。
一時でも早く神様をビリグイへという、真心から、大変なスピードで走っている時捕まり、どうなるかと思うたら、そのお回りさんが、たまたま日頃久しくしておられる人で、何のこともなく通してくれました。
二度目の時も、重量検査が忙しくなり、速度違反はさたなしということになり、一同神様がおられるから違うと、口々に言い合っておられました。背広を奉仕着に着替え、サンパウロを出たのが、午後2時ぐらいだったでしょうか、ビリグイに到着したのは、夜の9時ぐらいでした。
途中レストランによって、夕食を済ませる時、私達、私の着物姿をみて、珍しいのか、沢山のブラジルの人達が、口々にジャパン、ジャパンといっては、握手を求めてきました。
ブラジル人というのは大変人懐こくて、日本では、怠け者の代名詞のように聞いていましたが、私の見た限りでは、大変な働き者ばかりでした。ビリグイは街路樹が青々としげり、丁度久留米市のような、緑の多い、静かな町でした。
ビリグイ教会の看板がかかげられた戸をくぐると、今年83歳になられる、新田勇先生が、涙を流してのお迎えを下さりました。畳のない洋間に、神様と御霊様がまつられ、そこが御広前ともなりました。
日本からお供してきた、神様と御霊様を、一時そこへ置かせて頂き、お風呂を頂いて、足袋の垢をおとし、29日、深夜〇時より、遷座祭を仕えさせて頂き、太平洋を越えてはるばる日本からお供してきた、神様と御霊様を、このビリグイの地にお静まり頂くこととあいなりました。
休む間もなく、29日、朝4時の御祈念を仕えさせて頂き、5時の御祈念を仕えさせて頂きました。29日より平日通りの御用を仕えさせて頂く事になりましたが、最初は慣れぬ洋間に、御結界もなく、いささか戸惑いましたが、日本から持ってきた、大和さんの祝詞座がありましたので、大変助かりました。
おかげで、落着いて御祈念もでき、ビリグイ教会も一枚の祝詞座と、玉串案のあまりが一つありましたので、それに座らせて頂き、終日の神前奉仕をつかえさせて頂くことになりました。
落着いた、静かな部屋なので、心いくまで御祈念が出来、新田さん御夫婦が大変よい人ですので、気の、何のきがむねもなしに、御用に専念させて頂くことが出来ます。29日は、教会の主だった方々が集まられ、今後の布教の方針について話し合いがありました。
席上、出発にあたり、親先生から頂いた、「ブラジル国の繁栄と平和を祈れ」ということを、皆さんにも御挨拶の中で申し上げ、ブラジル国の真の繁栄と、真の平和は和賀心より生み成されること、てくること。為には、いよいよ節を大切にさせて頂かなければならぬ事など申し上げ、又、話の中で、日本人会の人達に、御結界のための模様しものをするとか、丁度私がやらせて頂いた、29日の朝、婦人会の幹部の方が、用件があって見えられ、金光教の青年教師が、今度、このビリグイの地に布教に来たとの話を聞かれ、是非とも、今度の婦人会の会合に、公演をとの以来があったそうです。
私は金光教の教師は、いったん布教の座に立ったなら、門外不出、畳半畳の御神前に、大地に根の生えたように座り込ませて頂くとの、申し上げ、それらは一先ず、お断りもうしあげました。
慌しい中に29日が過ぎ、30日からは、合楽とまったく同じ日程のままに、平日通りの御用をつかえさえて頂くことになりました。ただ違うところといえば、夜の御祈念が9時からで、お下がりは10時になります。
終日、ご神前に奉仕させて頂いておりましても、一つのリズムが聞こえてきますから、今のところ、実に楽しく、実に有り難く御用が出来、そこにもここにも親先生の強いお祈りが、満満ちております。
29日、皆さんの集まられた時、決定されたことですが、月次祭は、1日、10日、18日、23日の夜8時から。4月29日、8月29日、10月29日、1月29日が大祭。3月23日、9月23日が御霊祭りということになりましたので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
親先生、なにとぞこのブラジルの地に、合楽が誕生いたしますよう、切に切にお願い申し上げます。この偉大な御神願成就のためならば、私ぐらいの者ではありますが、身の限り、心の限りを尽くしての、信心修行に励まして頂きます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。長くなりましたけれども、本日はこれにて御無礼いたします。有り難うございました。親先生有り難うございました。厚く、厚く御礼申し上げます。合掌。」
「さいけい?若先生おかげを頂き有り難うございました。
今月から、あ、先月から、羽田までのお見送りを頂き、有り難うございまいた。おかげで、28日朝、無事サンパウロに到着いたしました。
航空税関所には、石井さんがわざわざ出迎えてくださり、手続きなどの色んな面倒を見て下さり、大変助かりました。
税関所では没収される人もかなりありましたけれども、私はおかげで全部パスし、御神体の箱二つは、まったくの無検査でした。
空港を出ますと、沢山の人達が出迎えてくださり、早速サンパウロ布教所の「高橋かなお」先生のところへやらせて頂きました。
サンパウロへ着いた途端、公子は安心したせいか、お腹が痛み出し、高橋先生の強いお勧めもあり、2、3日、サンパウロにお世話になり、昨日4日ぶりに送られてビリグイへやってきました。
私はその日のうちに、ビリグイにやらせて頂き、翌日からは早速御用に専念させて頂いておりましたが、昨日公子や、信太郎や、静行が送られてきて、泣き叫ぶ子供達を抱え外へ出てみますと、道行く人々は皆外人ばかりでした。
この時、初めて私は、異国の地に来たのだなぁという実感が湧いてきました。しかしながら、新田さん家庭は、家族はとても良い人で、御用がスムーズにいくよう、何かと心使いをして下さり、食事から、お風呂から、お茶から、まるで家の主人かのごとき、取り扱いで、部屋も一番良くて広い部屋を用意して下さるなど、ただただ勿体無いばかりの毎日で、親先生の御神徳のしかしむるところとしか、言いようがありません。
とかく金光様の先生の道開きといえば、飲まず食わずの中から、排水の陣を引いての道開きが始まるわけですが、兼ねて、親先生が、合楽で修行した者はといわれる、そのままに、実にスムーズな、実にすんなりとした中から道が開かれてくることは、私、本当に有り難いことだと思わせて頂いております。
第一に、異郷の地に来たという悲壮なものは、さらさらなく、合楽教会にいる時と、なんだ変わるところもなく、これならブラジルに合楽を、南米に合楽を建設させて頂くという、頂くことも、夢物語ではないようです。
サンパウロの高橋先生からは、案の定、第三日曜日には、ぜひ御参列をと頼まれました。出発の時、若先生に御相談させて頂いた通り、月に一回だけやらせて頂くことにしました。
サンパウロによってみて、感じたことですが、高橋先生も、日本からの布教、教師派遣を熱心に希望しておられ、信者さんの中にも、熱心な信者が随分おられるようで、これから先、サンパウロの布教はどれだけでも伸びると思いました。
合楽教会から次ぎの先生をお迎えするのも、時間の問題のようで、それまでは、およばずながら、基礎固めの御用をさせて頂きたいと思います。
新田さんには、男4人、女3人の7人の子供さんがあり、男の子2人は、サンパウロで、大学受験の勉強をしております。新田さんは、御自分は、道の教師で、教師としてのお取立てを頂く時節をなくしたから、7人の子供達は、それぞれに道の教師として、お取立てを頂くよう、お願いしますとのこ、願いですので、どうぞ、お取次ぎをお願い申します。
ブラスビアの石井さんには、航空でお会いしましたけれど、今度、15日が高橋先生のところのご大祭ですので、サンパウロにまいりますから、その節、石井さんには連絡を取りたいと思います。
ビリグイへ参りまして、改めて驚きましたことは、こちらでの御用に最低必要なものは、全部神様が用意して頂いたことでした。第一に、大和さんから頂いた祝詞座。松瀬さんから頂いた、旅行用の硯。これは御結界が玉串案一つですから、どうしても小さな硯しかダメでした。そして、北さんから頂いた草履。これは、洋間ですから、下駄じゃ響いて仕えません。
本当に何から何まで、神様の御演出には、ただただ、恐れ入る他ありませんでした。目下終日、ご神前で奉仕しておりましても、さしたる参拝者はありませんけれども、それでも昨夜は、御祈念、夜の御祈念に4名の、4名の参拝者でした。
新田さんの奥さんや、家族の人達も、これまで別に信心としてなかったらしいですけれど、私がこらして頂きましてからは、朝晩の御祈念にも熱心に出られ、特に、奥さんの心使いは、身にしみて、嬉しいことばかりです。
公子のような、気のきいた人じゃ全然ありませんけれど、本当に良い人です。信太郎や静行も、大変おかげを頂き、信太郎なんか、よだれをあまりしなくなりました。静行は朝から晩まで、拝むまねばかりしております。
おたよりしたいことは尽きませんけれど、今日はこれにて、失礼いたします。有り難うございました。合掌。
追伸、親奥様、若奥様、御家族の皆様、そして、修行生の方々にも、どうぞくれぐれもよろしくお伝え下さいませ。」
「拝啓、この度は私共の南米布教出発にあたりましては、皆様の一方ならぬ真心こもるお見送りを頂き、又、合楽教会あげての壮行会のお模様しを頂くなど、そして、それぞれに大変なお餞別をまで頂き、何かと御礼申し、なんとお礼申してよいか分かりません。
有り難く、厚く、厚く御礼申し上げます。28日早朝、機上より初めて見るブラジル大陸には、山、又山のジャングルと、アマゾンの大河が悠々と流れ、所々に点々と、集落が見える、広大な国土でした。
ニューヨークを発つ時は、星影一つないまったくの闇世でした。闇の世から、光の世へ。心の中で繰り返し、繰り返し唱えさせて頂いておりますと、思わず感動が湧き出て仕方がありませんでした。
28日、午前9時40分、飛行機はサンパウロ市内、サンパウロ市上空をゆっくりと、何回も何回も先回し、市内の、コンゴーニヤス航空に降りたちました。サンパウロの赤い土と濃い緑。果てしなく広がる広大な大地は、合楽よりの使者を待ち受けておりました。
金光教の教旗を振りながら、出迎えの人々に、只今到着しました、と挨拶させて頂きました時は、思わず感激の涙にくれました。一先ず、サンパウロ市内の「高橋かなお」先生の所へ、立ち寄らせて頂き、そこで黒衣へ着替え、ビリグイへ向けて、出発させて頂きました。
ビリグイへ着いたのが、夜の9時過ぎだったでしょうか、新田家の家族の方達に出迎えられ、そこでしばらく休息の後、29日、午前0時をきっして、ささやかな遷座祭を仕えさせて頂き、早速この日より、平日通りの御用をさせて頂くことになりました。
三間、四角の白壁の洋間に、三段作りの八足があり、そこに神様と御霊様を祭り、ご神前に向かって、終日座らせて頂いております。この部屋が神様専用の部屋としてあてられ、御結界も、お広前も一緒ということになります。
隣に、かなり広い、ゆっくりした洋間があり、私達には、ベットが四つおかれたかなり広い部屋を用意して頂いておりました。
椅子式の洋間ですけれど、大和さんより、祝詞座を二枚頂いておりましたんで、御祈念も普通通り出来、独立した部屋ですので、早朝より、深夜まで、何の気がねもなしに御用も出来、御祈念も出来ます。
新田さんの家族は、八十二歳になられる、勇先生と、「新田みきお」さん御夫婦。それに7人の子供さん達。内二人はサンパウロで勉強中と、かなりの大家族です。
御主人はお菓子屋の製造業をしておられ、従業員だけで10人ぐらいおられる、かなり大きな工場をしておられます。
御夫婦とも大変な好人物で、私達の来たのをこの上もなく喜んでくださり、その真心こもるお世話には、ただただ勿体無いばかりです。異国の地で布教に専念しておるとはとてもは思えないぐらい、違和感というものもなく、本当に信心も出来ませんのに、これほどのまでのおかげは勿体無いの一言に尽きます。
ここの子供達は、三星で、片言の日本語しか喋らず、普段はブラジル語ばかりです。昨日は日曜日で、新田さんの奥城に参拝させて頂きました。墓地には沢山のブラジルの、ブラジル人達が、同じように墓参りに来てありました。
私の奉仕着姿を見て、珍しかったのか、沢山の人達が集、回りに集まってきて、うちの墓にも御祈念してくれと、次々に頼まれました。してと言われるままに、お墓の回り一つ一つ丁寧に御祈念をさせて頂き、御祈念が終わったら、その人に合楽理念を基づいての、魂の助かりを一生懸命話させて頂きました。
話す私も有り難かったのですけれど、話を聞くブラジル人達も、日本語が分かるはずもないのに、涙を流して喜んでくれました。海外布教とかということになりますと、とかく、第一に語学があげられますが、人の心を打つとか、魂に響くとかいうことは、言葉以上の言葉であることを、昨日までに実感しましたこと、実感したことはありませんでした。
一日の夜は、合楽教会にあわせて、夜8時、月次祭を奉仕させて頂きました。親先生より頂いた教衣を初めて着させて頂き、懐かしいのと、有り難いのと、勿体無いのと、畏れ多いので、感激させられました。
教衣を着ていただ、教衣を着させて頂く時、親先生の祈りそのものを着させて頂くという実感でした。お祭りの始まる一時間前から、教衣に着替えさせて頂き、ご神前に座って、待たせて頂いておる時、ちょっとふらっとしたその時に、『喜びの蓄積が力となる』というお言葉を頂き、また感激させられました。
いよいよ神様がこのブラジル大陸に、一生懸命の働きを現そうとしておられる、その前兆を、ここ数日感じずにおられません。神様のそういう働きをいよいよ促させて頂くために、いよいよ喜びに喜んでの道開きに専念させて頂きたいと思います。
長くなりましたけれども、本日はこれにて失礼いたします。合楽教会の皆様には、実はお一人お一人にお礼状を書かせて頂きたかったのですが、日本での住所が分からず、真に相済まないと思いますが、この書名を持ちまして、お礼に変えさせて頂きます。
有り難うございました。厚く、厚く御礼申し上げます。(けいふ?)」
昨日は研修、ちょっと研修の時でしたから、読ませて頂こうと思ったけど、とても感動してから読まれなかったから、まぁこの人に、読んでもらいました。
私あての、手紙の中に、ブラジルの夜明け。合楽元年という言葉をつかってます。本当にあの、神様を、信じてなからなければ、出来ることでないことを、それこそ元気な心。勇猛心をもって、布教にいわばあたらせて頂いた。
そしてまだ、あちらへ行ったばかりですけれども、行く道からあちらへ行ってからの、神様の御都合。特に、御神米、あの、という、あのお米なんか、全然持っていかれないですね。それにあの、日本刀のこんな( ? )を持って、それだけはいくらなんでん持っていったって、ダメだろうといったら、それも、あの無事にあちらへ着いておる。お榊も大体持っていけんのだけれども、荷物と一緒にあちらについておったということでしたが。
本当に、今日頂く、御神訓の反対のところですよね、(?)姿もなからなければ声もない神様を、いうなら、限りなく、信じきっていくところに、例え言葉は通じなくても、そこに、なら、ね、何か、心と心に暖かいものが通う、最後のこの奥城参拝のところに書いてありましたようにね。
どうでも一つ、信心でから、丁度初めてのお月次祭の時に頂いたという、「喜びの蓄積が徳になる」ね、確かにこれは、もうその通りです。喜びの蓄積が、徳になる。喜んだ、又それとは反対な事に、せっかく徳がつまれようとするのに、又、積んだり、又は崩したり、積んだり、崩したり、それこそ(さえ?)の瓦の石の積みのようなことではいけません。
やはり、その喜びを積んで、積んで、積み上げられて、お徳になるのですから、まぁ皆さんのこれからのお祈りぞえも、さることながら、本人の又修行もこれから…。
参ります時に、あちらへ行って、一時、いうならば花が咲いたような、いうならおかげを頂くけれども、その花は、本当なもんじゃないぞと。その花が一本、一遍萎れて、散ってその次に咲く花が本当なもんだ、という御理解を頂いて、まぁ行っておりますから、おそらく、油断することなしに、それこそ、んー、ブラジルの夜明けであり、闇の世に、光の世を、やはり、ね、本当に合楽元年を迎えて、これから、合楽理念に基づいた、いうならば南米布教が出来ることだと、支持します。
今日の御神訓の、いわば、丁度、いうならば、反対のこと。ね、疑えば限りがない。けれえども、反対にそれを信じきって、しかもしれを行動に現していけれるほどしの信じ方、それがおかげにならんはずがありませんよね。どうぞ。
梶原 佳行